HeartBreakerU  8





背中を押されてつまずきながら入ったその部屋は、ひんやりしていた。
大久保は目隠しされて見えないにもかかわらず、何か情報を読み取れないかと顔をあちこちめぐらせる。カツカツという男たちの冷たい足音が響き、がらんとしたコンクリートむき出しの部屋のようだとわかった。
腕を掴まれて座るように肩を押されて、大久保は硬い椅子の上に腰を下ろした。
「な、なんなんだ。何が目的なんだ、君たちは? 私をさらってもたいした金もないし何の得にもならないぞ」
「……」
カツカツと歩き回る男たちの足音。そして遠くで閉まる扉の音。
大久保の背中を冷たい汗が伝う。
仕事で一人で車を走らせていたときの出来事だった。人通りの少ない道で大久保が赤信号で停まっていると、不意に道路脇の男が「すいません、ちょっと聞きたいことが……」といいながら地図を持って車に近寄ってきたのだ。昼間だったし、スーツ姿の西洋人で、大久保は道に迷ったのかと運転席の窓を開けた。
その直後にその男は、腕を車の中に突込み鍵を開けると大久保の襟首を掴み引きずり出した。驚いた大久保がよろけるように外に出ると、バラバラと三人同じようなビジネススーツを着た男たちが駆け寄ってきた。
大久保が何が起こったのかを把握する前に口にさるぐつわを噛まされ腕を後ろ手に縛り上げられ、大きな布で目隠しをされ、キキッと急ブレーキ音をさせて停まった車に、背中を蹴られて放り込まれた。
後は三時間程ガタガタとゆられ、そうしてようやく降ろされたのがこの場所だ。
「わ、私が社に帰らなければ心配した社員達が警察に連絡を……」
大久保がそう言いかけた時、しゅるっと布の音がして目隠しが外された。眩しい光が差し込み、大久保は目を細め、瞬きをしながら周りを見渡す。
そこは音から判断したとおり、何かの倉庫のようだった。広いガランとした空間に高い天井。倉庫の隅にはガラクタが積み上げられており、壁の上の方には明り取りの窓があり、そこから午後の光が差し込み空気中の細かなホコリがそれを反射していた。
「ここはいったい……」
そう言いながら横を見て、大久保はギョッとした。
頭のすぐ横に銃口があったのだ。
テレビや映画でしか見たことがないがその質量とツヤから本物だというのは一目瞭然だ。銃を持つ手から上へ辿って行くと、先ほど道を聞いてきた男と同一人物かはわからないが、やはりスーツを着た外人の顔が見えた。
「なん……なんだ、これは……。脅されないといけないような秘密も金も、わ、私は持ってはいないぞ! 会社か?新薬の情報が欲しいのか? 私は決裁書類にサインをするだけで、薬の製造方法なんて門外漢だ。会社の資産だって私は単なる雇われ社長で、実際のオーナーは別に……」
「そのオーナーの行方を捜している」
「そうだ! オーナーは私ではなく別に……え?」
「雪村千鶴から連絡があっただろう?」
その外人は流暢な日本語を話していた。
「な、なぜ千鶴ちゃんを……」
なぜこいつらの口から千鶴の名前がでるのか。小さなころから娘のようにかわいがり成長を見てきたあの千鶴が、こんな物騒な物を持ち、誘拐などと野蛮なことをする外人に追われるようなことを何かしたのか?
大久保の額には汗が吹き出す。最初は人間違いか勘違いかと思っていたがどうやら違うらしい。
カチャリとなめらかな音がして、大久保のこめかみに突き付けられている銃の安全装置が外された。
「隠すとためにならないぞ」
「隠すも隠さないも……!」
大久保は慌てながら早口で言う。
「何も連絡なんか来ていないんだ! 本当だ。何も知らない。少し前に会社に訪ねてきたけれどそれ以降は何の連絡もない。信じてくれ!」
銃を持った男は、大久保の焦りぶりを吟味するように見て、隣にいる同じように背の高い金髪の外人と顔を合わせる。
「ほんとうだ!」
金髪の男が胸ポケットから携帯電話を取り出した。待ち受けには大久保と同じくらいの年の女性と十代頃の男の子と女の子がこちらを向いて笑っている写真。それを見た大久保は目を見開く。
「それは……私の……」
男は大久保の携帯電話を操作し、最後にピッと通話ボタンを押すと大久保の耳にあてた。
「雪村千鶴の携帯に電話をした。お前からの電話なら出るだろう。居場所を聞き出せ」
「……」
大久保が茫然としている間に、ツーコールで千鶴が出た。
『はい千鶴です。大久保のおじさま?』
電話の向こうから聞こえてくる千鶴の声が、静かな倉庫に響く。
大久保は口を開いたまま何も言わなかった。
「……」
外人が銃で大久保のこめかみを小突いて促したが、大久保はカエルがつぶれたような妙な声を発したのみで何も言わない。ただ、汗だけがたらたらと大久保の額から頬をつたい、顎の先から滴り落ちている。
『……おじさま?』
しばらく沈黙が続いたが、プツッという音と共に電話は向こうから切られた。
「……死にたいのか。脅しじゃないぞ」
金髪の男がそう言い、もう一度携帯のボタンを押し始める。
「もう一度かける。今度何も言わなければ、お前を殺す」
銃口が大久保のこめかみに強く押し当てられた。大久保はすがるような瞳で外人を見上げた。
「……わ、私は……私は、昔……」
話し出した大久保に、外人は携帯のボタンを押していた手を止めて彼を見た。大久保のふくよかな顔は汗と涙でてらてらと光り、顔色は蒼白なのに目だけがギラギラと光っている。
「昔、す、救えなかった子がいたんだ。救えたのに救えず……怖くて。私の友人が怖くて、私はその子を見殺しにしたんだ。その時はそうしなければ私が何をされるかわからなかったし、妻も子供もいてクビになるわけにはいかなくて……それでいいと思って……」
大久保は瞬きもせずに外人たちを見上げながらとりつかれたようにしゃべっていた。
「だが、忘れられなかった。やり直しはできないが……でも、つ、次に同じようなことがあったら、わ、私は後悔したくないとお、思っていて……」
そこで大久保がゴクリと音がきこえるくらい盛大につばを飲み込んだ。恐怖からか大久保の細い目からは涙がこぼれていた。
「だから、電話をしても居場所を聞き出すようなことは、で、できな――」
その直後に銃声が倉庫に響き、大久保の体は椅子ごと床に反動で倒れた。
床にあたった大久保の頭からじわじわと血が流れ出し倉庫のコンクリートの床を染めていく。
「……時間の無駄だったな」
撃った男はそう言うと、銃をわきの下のホルスターにしまった。金髪の男が、倉庫の反対側の隅へと振り向いてそちらへ声をかける。
「どうする? お前が教えてくれた唯一の手がかりからは何も得られなかった。こいつと雪村千鶴は家族ぐるみのつきあいだったんだろう? こいつの家に行って妻と子どもたちに聞いてみるか?」
妻と子供に聞いてみるというよりは、大久保と同じように銃で脅すのだということは明らかだ。
倉庫の隅にあるガラクタの後ろから、小柄な影が姿を現した。少年のような細身にスーツをきた黒髪の男。
「……妻と子どもを脅しても何も出てこないと思うよ」
薫がそう言うと、金髪の男は表情を変えずに答えた。
「出てくるかもしれない」
「……」
薫は、目を見開いたまま床の上でこと切れている大久保を見た。

『君が……君が欲しいって言ってたのはこれだろう?』

おどおどした笑顔に差し出された絵本。
ふいに幼いころの記憶がよぎる。薫は表情を変えずに視線をそらした。
「出てこないよ。それこそ時間の無駄だ。行こう」
そういうと二人を促して薫は出口まで歩き出す。男たちは肩をすくめて顔を見合わせると、薫の後について出て行った。
倉庫の裏に停めてあったバンに乗り込む。
車が動き出すと、薫は頭痛をこらえて目を閉じた。

げんきなあかちゃんには この おくりものがいい。
かみさまにいわれててんしは『よくたべる』をあかちゃんにはこびました。
あかちゃんはよくたべる じょうぶなこどもに ……

いつもの習慣で絵本を暗唱する。
あいかわらず最後のあたりは思い出せない。薫はそのまま何度も心の中で暗唱を繰り返していた。

 

深夜のドラッグストア。
広い駐車場の片隅に一台の地味なセダンが停まっていた。しばらくすると黒の四駆が入ってきて、セダンから少し離れたところに停まる。
四駆から降りてきた長身の男の顔を確かめてから、セダンの運転手は助手席に置いてあった大きな袋を持つと車を降りた。
そして駐車場を横切り、立ち止まってこちらを見ている背の高い男の傍へと歩いて行く。
「どうも」

セダンから降りてきたスキンヘッドにTシャツとジーンズ姿の男にそう挨拶されて、沖田は微笑みながらうなずいた。
「こんばんは。こんなところまで来てくれてありがとう」
スキンヘッドの男が渡した大きなカバンを受け取り、沖田は礼を言う。そしてその場で袋を開けて中を確かめた。スキンヘッドの男は、沖田が確かめていくのを黙って見ている。しばらくして沖田は袋のジッパーを閉め、「確かに全部あるね」と言うと、ジーンズの尻ポケットから財布を取り出した。沖田が札を数えていると、いつも無口なスキンヘッドの男がふいに言った。
「……あんたたちを探しているという男たちが店に来た」
沖田は札を数えていた手を止めて、スキンヘッドの男を見る。
「ふーん。……それで僕たちを売ったりしたわけ?」
スキンヘッドの男は首を横に振った。
「この商売は信頼が一番だからそんなことはしない」
数え終えた沖田は、それを男に渡す。「はい、これ。言わないでくれたお礼にイロをつけといたから」
今度はスキンヘッドの男が札を数えだした。
「……かなり大きな組織みたいだ。あちこちから同じような話を耳にした。もうこの街には来ない方がいい」
感情を込めずに言うスキンヘッドの男の言葉に、沖田は小さく笑う。
「武器商人はそんなアドバイスまでしてくれるんだ?」
スキンヘッドの男は札を数え終えるとそれをナイロン製の小さなバッグに入れる。そして肩をすくめた。「お得意様だからな。アドバイスは特別に無料にしとくよ」
沖田は今度は声に出して笑った。
「……ありがとう。実は今夜はもう一件頼みたいことがあったんだ。パスポートを二冊手に入れられる?僕のと……あと車の中にいる彼女の」
スキンヘッドの男は小さくうなずいた。
「俺はやっていないが扱ってるやつは紹介できる。写真があればそいつに渡りをつけてやるよ」
「ありがとう。じゃあ連絡を待ってる」
そう言って、二人は別れて再びそれぞれの車に乗り込んだ。スキンヘッドの男が乗ったセダンが駐車場を出ていくのを確認して、沖田も四駆のエンジンをかける。
「終わったんですか?」
助手席の千鶴が、後部座席に頬りこまれた大きなバックを見て沖田に聞いた。沖田はハンドルを切りながら頷く。
「うん。もう一回さっきのヤツと取引をしたらこの街を出ようか?薫たちがうろちょろしてるみたいだしね」

この東北の地方都市の裏社会では情報があっという間に広がるのだろう。スキンヘッドの男は、まあ商売だからある程度は信用できるだろうが、早くこの街から出た方がいいのは確かだ。
綱道コーポレーション現社長の大久保が、港にある使われていない倉庫で何者かによって射殺されたという事件は、千鶴も沖田も知っていた。
山荘でいつものように沖田が情報を集めていたらそのニュースが飛び込んできたのだ。地方都市の中堅企業の社長の死は、たとえ射殺という特異性があったとしてもそれほど大きなニュースではなく、地方テレビ局のローカルニュースで一度流れたきりだったが、千鶴にとってはかなりショックな出来事だった。
当然ながら最初によぎったのは薫の組織だ。
そういえば大久保の死亡推定日時に大久保から千鶴の携帯に電話があったのだ。携帯電話の表示が大久保になっていたから何の疑いもなくでたのだが、通話口からは何も聞こえなかった。それで切ってしまったのだが……
多分あの時、きっと大久保はさらわれていたのだ。
青ざめ取り乱す千鶴を沖田が宥めた。沖田にしてみても、薫たちがそこまで強硬手段に出てくるとは思っていなかったので驚いた。病院で沖田が相手を殺し過ぎた、その報復かもしれない。
山荘で沖田が確認したかった暖炉の秘密の穴にも未来からの連絡は何も入っていなかったことだし、とにかく山から下りて街でもう少し情報を集めようと、沖田と千鶴は再び街へと戻ってきた。
もといたマンションは、当然ながらすでに薫の組織に見張られているだろうから戻れない。
沖田は街にある観光用の旅館に宿をとると、いつも武器を買っている店に連絡し夜に落ちあうことにして、こうしてここに出てきたのだった。

「この街から……」
「うん。海外にでも行こうか?」
「か、海外ですか?」
「そう。準備ができたらね。千鶴ちゃんどこがいい?」
物心ついたころからこの街を出たことがない千鶴にはわからない。
「私、海外旅行もしたことがないので……英語も苦手なんですけど大丈夫でしょうか」
薫たちに追われての逃避行だというのにどこか呑気な千鶴の答えに、沖田は楽しそうに笑った。

 

まるで観光地を巡る旅行をしているように、沖田と千鶴は街からそれほど離れない場所で旅館を転々と変えた。今日は三軒目の海が見える老舗旅館だ。三階にある和室の部屋の窓からは、ようやく薄暗くなってきた夕方の空に月がのぼっているのが見える。海と山のちょうど間あたりの中空に浮かんだ半月だ。
中秋の名月にはまだ早いが、湿気が抜けてきたので月がきれいに見える。千鶴が窓から眺めていると、後ろから沖田の声がした。
「温泉行かないの?」
旅館の浴衣を着た沖田が、千鶴の後ろから窓枠に手をかけて外を見る。
「月が出てるなって思って」
「ああ……ほんとだ。さすが観光地だけあって絵になるね」
「『日本』って感じですよね。沖田さんのいた未来にもこういう景色はあったんですか?」
沖田が吹き出した。
「そりゃもちろん。いくら羅刹でも気候や自然までは変えられないでしょ」
「そういえばそうですよね。たった二十年後ですもんね」千鶴も笑う。そしてふと思ったことを口にした。
「外国に行ったらもうこんな景色は見られないんですね」
沖田は窓枠に腕をかけたまま千鶴を見る。
「……寂しい? 日本を離れたくない?」
沖田からは来週には偽造パスポートが手に入るから、そうしたらすぐに日本を出ようと言われていた。千鶴は首をかしげて考える。
「どう……でしょうか。海外旅行もしたことがないんで外国に行ってみたい気はあります。でももう日本に帰れないかもしれないって思うとやっぱりそれは少し寂しいです。沖田さんはどうですか?」
「……」
沖田はしばらく考えるようにして外の景色を見ていた。
「僕は……」沖田はそう言うと、窓枠にかけていた腕をはずして千鶴に向き直り、肩をすくめた。
「僕は、結構本気で君以外なにもいらないからね。だから未来だろうと過去だろうと、日本でも外国でも君がいるのならどこでもいいよ」
沖田の言葉に千鶴はなんと返せばいいのかわからなくて黙り込んだ。こうも面とむかって……情熱的というか甘いというか、濃い言葉をさらりと言われると、あまりそういうことに慣れていない千鶴は未だに困ってしまうのだ。赤くなって黙っている千鶴の顔を、沖田は楽しそうに覗き込んだ。
「重い? でももう我慢してもらうしかないけどね」
「……重くなんかないです。その……わ、わたしも……」
私も沖田さんと一緒ならどこでも幸せです、と言いたいのだが恥ずかしくてなかなか言葉にできない。
顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせている千鶴を見て沖田は笑った。
「何? 私も……続きを教えてよ」
「その……沖田さんと同じです」
「同じって?」
楽しそうに追い詰める沖田を、千鶴は睨む。「もう! わかってますよね?」
「ええ? わかんないよそんなの。君の言葉で言ってくれないと………」
笑いながら答えた沖田の言葉は、途中で途切れた。千鶴が見上げると沖田が眉間にしわを寄せ何かを耐えるような表情をしている。
「……沖田さん?」
「……ぐっ……!」
苦しげな声を漏らして崩れそうになる沖田を、千鶴は必死でささえた。
「どうしたんですか?どこか……」
「うぁ……!」
うめき声と同時に、沖田の茶色の髪が見る間に白く染まっていった。
「沖田さん…!?」
「……すぐに、治まる、から……!」
うずくまって痛みに耐えている沖田を見て、千鶴は全身から血の気が引くのを感じた。
のんびりと二人で月を眺めている暇なんてなかったのに……!そうしている間に沖田の命の火は羅刹の血によってどんどん燃やし尽くされているのだ。沖田の口ぶりではこの苦しみを何度も経験しているように聞こえる。
「沖田さん……血が欲しいんですか?」
「……欲しくなんか……欲しくなんかない! ……僕は、嫌だ。嫌なんだよ。血は要らない。狂いたくない……!」
「だから私に言わないで、一人で我慢を? どうして……そんなに苦しんでいるのに……」
「自分を……、理性を失ったら、僕は君を助けることが出来なくなる……!」
千鶴は泣きそうになった。何も言わずに一人で……。沖田はいつもそうだ。
「沖田さん、血を……私の血を飲んでください」
「大丈夫だよ、発作くらい我慢できる。僕はこんなものに負けるほど弱くない」
「全然大丈夫になんて見えません!」
青ざめた顔で無理に笑う沖田に、千鶴は叫んだ。そして部屋の隅に置いてあった自分のカバンの中から以前沖田からもらったジャックナイフを取り出すと、一気に手のひらに滑らす。
「あっ…!」
覚悟していたのにもかかわらず、熱い痛みに千鶴は思わず小さく声を上げた。沖田は窓辺にうずくまったまま肩で息をしてこちらを見ている。その目は千鶴の掌からしたたる血と同じくらい真っ赤だった。
「飲んでください」
「……」
千鶴が沖田の前に手のひらを差し出すと、沖田はまぶしそうに目を細めて千鶴の血を見た。そして彼は何も言わないまま恐る恐る手のひらへと顔を近づけ、流れ出た血にそっと舌をはわせる。傷口に触れて千鶴が痛い思いをしないように慎重に。
何度も何度も彼は血を舐めとり、千鶴の傷から流れ出る血もとまった。沖田は千鶴の掌を見たまま小さく溜息をつく。
「……ごめん」
不意の呟きに千鶴はうつむいた。
「……沖田さんが謝ることないです」
「でも、ごめん」
苦しげに言う沖田を、千鶴は優しく抱いた。まだ顔色が少し悪いけれど、髪と瞳は元通りに戻り発作もおさまったようだ。
「……今日は、もう休んでください」
沖田は素直に頷く。千鶴は彼の頬に優しく触れたあと、沖田を布団の方へと導いた。
発作の苦しみは千鶴にもわかる。あの痛みを、彼は何度一人で耐えたのだろうか。発作の間隔が短くなっていないか、発作の時間が長くなっていないか、狂い始めていないか……不安に彼は一人で耐えていたのだ。
発作で疲れたのか、布団の中ですぐに眠り込んでしまった沖田の寝顔を、千鶴は見つめていた。
知らず知らずのうちに涙が盛り上がり頬を伝う。
「沖田さん……」
薫たちから逃げて外国へ行って……それからどうすればいいのだろう? 逃げてばかりでは沖田の羅刹を治すことはできない。
千鶴は枕元で沖田の寝顔を見つめながら必死になって考えていた。


9へ続く



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